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longing for seton.
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BGM♪ La valse d'Amelie / Yann Tiersen


あれはシートン動物記に激しく執心していた小学4年生の頃。

動物好きが高じ、飼犬のモリ(メス・雑種)だけでは飽き足らず、屋根の隙間に作られた巣から落ちたスズメのヒナを
育ててみたり(呼べば来るほどものすごく懐いた)、祖母の畑に張られた鳥避けネットに絡まったヒヨドリをレスキューしてみたり、
(助けたにも関わらずツツかれまくって出血)、近所を闊歩する野良猫に生きた鮎を捧げてみたり(見向きもせずに行ってしまった)、
親子で夜間飛行の練習をしていて私の部屋に飛び込んできたモモンガの子供を飼い慣らそう
としたり(ものすごく臭い尿を暴れ散らしながら逃走される)・・・。執拗に動物に接したくてならなかった。

もうとっくに時効であろうから告白するが、近所にあった養鶏場から生まれたての卵を失敬してきて、
数日温めたこともある。ヒヨコが欲しかったのだ。無論、無精卵が孵るハズもなく、そんな保健体育的な
事情を知る由もないアホな小学生は、ウンともスンとも物言わぬ卵をじっと見つめて途方に暮れたものだった。

その年の暮れ。父が「クリスマスは何が欲しい。」と訊いてきた。父がそんな事を訊いてくるなんて
とても珍しいことであった。なにせ、空前絶後の大ブームを起こしていたファミコンを地団駄踏んで泣き喚こうが、
シナを作って甘えようが、頑なに買ってくれなかった父である。(※参照little whiskered man.

一瞬「ファミコンを・・・」と言いそうになったが、動物執心熱が大炎上中の私の脳が、それを許さなかった。
「に・・・ニワトリが欲しい」と言ったのだ。ヒヨコでも良かったのだが、小学校の鶏小屋でニワトリが毎朝卵を産み、
飼育係がうやうやしくそのホカホカの卵を回収する作業を羨望の眼差しで見ていた私は、ニワトリそのものを貰えば、
ニワトリの世話も出来るし、産まれた卵からヒヨコも育つ!と、一石二鳥ならぬ一鳥二卵三ヒヨコな皮算用を咄嗟にしてのけた。
算数が全くできない大バカだったが、こういう計算は早かった。

「ニワトリ・・・?わかった。」と父は快諾し、私の夢は現実に一歩近づいたのだった。「じゃあクリスマスはニワトリだよ!」
と念を押し、言うが早いか、庭にあった木でできた一升瓶のケースを何個もバラし、通信簿で図工と音楽と体育
だけが「よくできました」のバカな小学生に有り勝ちな成績にモノを言わせて、鶏小屋をトンテンカンと2日で造りあげたのだった。

そして待ちに待ったクリスマスの晩、父の「約束どおり」我が家の食卓にはケンタッキーフライドチキンが山の様に盛られていたのだった。
私が懸命に鶏小屋を作っているのを父も目の当たりにしていたハズなのだが、おそらくいつも庭先で意味不明の
創作工作活動をしていた私なので、気にも留めなかったのであろう。飼うハズだった物を食らうという、
予想だにしなかったクリスマスの悲しい結末に相当落胆したが、初めて食べたケンタッキーは旨かった。

そんな傷心覚めやらぬ数ヵ月後のことだったと思う。父が「Tさんがキツネを捕ったらしいぞ!見に行くべい!」
と誘ってきた。聞けば、悪戯をする野良猫を捕らえるために設置しておいたワナに、キツネが掛かったというのだ。
私の生まれ育ったあきる野市(旧五日市町)には、タヌキや猿、イノシシや前述のモモンガなどがおり、結構
な野生動物天国であるのだが、私はそれまでキツネを見たことがなかったので、喜び勇んで父に連れられ
捕らえたという近所のTさん宅にお邪魔した。

そこで目にしたものは、庭先の棕櫚の木に貼り付けられたキツネ皮の天日干しだった。

「ほほう・・・いい皮だあな。」「さっそく絞めて剥いだんだあよお。」などと無骨な会話を交す父とTさんを尻目に、
私は哀れなキツネの皮に近づいて、そっと匂いを嗅いでみた。強烈なケモノの臭いがした。
主の入ることのなかった私の造った拙い鶏小屋は、後に庭の片隅で空き缶入れとなり、
いつしか朽ちて消えて行った。

そんな過ぎし日の思い出蘇る、しんしんと屋根に雪のふりつむ夜である。


model : ai
by hideet-seesaw | 2012-01-24 00:33 | photograph


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