「ほっ」と。キャンペーン
chocolate
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BGM♪ Across the Universe / Rufus Wainwright 


隣のお宅の女の子が、私がガレージ兼簡易スタジオとして借りている倉庫の窓を、犬とボール遊びをして
いて割ってしまった。

幸い破片が飛び散らかっただけで大したことはなく、その子にも怪我はなかった。

その子のお母さんが「この子に掃除させますから!」と言ってくれたのだが、ガラスの破片は子供には危ないし、
なにより私のガレージには、私がバイクをイジったりしたときに放置したネジやゴミやなにかの部品や虫の屍骸やら・・・
が散乱しており、割れた破片と混ざってしまっていた。そうなると、ガラスの破片掃除というより、
それらの大掃除になってしまうので申し訳ないし、愛犬のヨークシャーテリアを胸に抱き、
ションボリとうなだれて反省してるその子がなんだか可哀相だったので、丁重にお断りして私が自分で掃除するから
大丈夫だと言ったのだが、そんなやりとりを横でなにげなく見ていたいつもお世話になっている大家さんが

「悪いことをしたらちゃんと自分で始末をやらせなきゃ。高水さん、子供の躾ってそういうもんだよ。」

と諭してくださった。確かにそうだ。
可哀相だが、お言葉に甘えてその子に後片づけをしてもらうことになった。
その女の子は、背丈に合わない慣れぬ箒と塵取を懸命に使い、30分程かけて見事綺麗にしてくれた。
そう・・・ガラスの破片が散らばる前の状態よりも遥かに綺麗に・・・。

かく言う私も子供の頃、数え切れないほどのガラスを割った。故意にも過失にも。
ジャイアンの打ったホームランが空き地脇の家の窓を割り、「こらぁー!悪ガキどもめ!」の怒号に
スネ夫とジャイアンは一目散に逃げ去り、逃げ遅れたのび太は箒を持って現れた怒りの
カミナリハゲオヤジの小言をくらう。そんな光景、私の幼き頃はよく見かけた。というか、私がその当事者であった。

なかでも忘れられない思い出が、小学一年の頃。飲食店を経営する実家の駐車場に停めてあった客の車のフロントガラスを、
自慢の手製パチンコで弾いた石が、大きく弾道を逸らせて粉々に割ってしまったのだ。あくまで過失だったが、
もちろん父にこっ酷く怒られ、持ち主の客に平謝りに謝り、その車の持ち主家族にはその日タクシーで帰ってもらったのだが、
その客の家というのが横浜で、後日ガラスを直した客の車を父が私を乗せて運転し、横浜のお宅まで届けたのだった。
当時の私には、あきる野~横浜間が涯もなく遠い場所に思えて、流れる車窓の風景を見ながら、父と客に対して、
申し訳ない気持ちを募らせたものだった。

その時、そのお宅の玄関先で父と並んで「ごめんなさい」と謝ると、奥様が私に「わざわざ謝りに来てくれてありがとうね」
と、チョコレートを持たせてくれたのだった。思えばガラスを割ったときも、割られたご家族は私のことをちっとも怒らないどころか、
怒る父からかばってくれたような記憶があった。優しいご家族だったのだな・・・と、今更ながらしみじみと思う。

そして横浜からの電車での帰途。父が、立川駅内の「立ち食いそば」を食べさせてくれた。
生まれて初めて食べた立ち食いの月見ソバは、今でも忘れられないくらい美味しかった。

そんな思い出が蘇り、一生懸命に我が散らかり放題のガレージを片付けてくれたその子になにかしてやりたくなり、
急いで近所のスーパーで菓子を幾つか買って来て、ガレージ前の私道で犬と遊ぶその子に「あのさ。ガラス割っちゃったのは
しょうがないけど、掃除してくれたおかげで前よりもものすごく綺麗になって助かっちゃった。だから、コレお礼だよ。」
と菓子をあげると、満面の笑みで「ありがとうございます!」と嬉しそうに受け取ってくれた。

人の親になったことのない私は、「悪いことをして後始末をしたお礼」のその菓子が、はたして正しいのか正しくないのか
よくわからなかったが、チョコレートをくれた横浜の優しい家族の真似をしてみたかっただけなのだ。

開け放した五月の窓から、子供達の遊ぶ声が聞えてくる。なんとも心地の良いものである。
自分の為にも買ってきた「たけのこの里」をばりぼり食べながら、耳を傾けている。

model meisa
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# by hideet-seesaw | 2011-05-01 22:19 | photograph
chacun a son gout
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BGM♪ Prelude Op.28-13 / Frédéric François Chopin


本が好きである。

小説、随筆、漫画、哲学、歴史・・・などなど、ジャンル問わず何でも読む。

私の亡き祖父という人が、国語の教師であり書家であり、中学校の校長先生も務めた
筋金入りの教育畑の人であったのだが、その祖父が私の物心つくころから、鼻を垂らしてヘラヘラ
しているこのアホな孫が、少しでも利口になればと膨大な数の絵本を贈ってくれたのが、その本好きの源であると思う。

ここ数年、郊外の土地を苗床に梅雨どきのキノコさながらにニョキニョキとその数を増やし続けている
「ブックオフ」。
あの黄色と青色の看板が視界に入るや、飛んで火に入る夏の虫が如く、ふらりふらりと無意識に立ち寄ってしまう。

好きな随筆家が本の中で薦めていた本が読みたくて、先日もふと立ち寄ったブックオフで、
その本を見つけようとしたのだが、何しろあの在庫数であるのと、あまり有名でもないマイナーな
本である上に、その本のジャンルもいまひとつ選別不明であったために、探せども探せども見つからない。

本屋が好きな方ならご経験がおありかと思うが、本屋にて必死に獲物を探せば探すほど、
何故か下腹部が催してくる。「必死で探す」という状態が生み出す一種の緊張状態が下腹部と密接に
関係しているらしいが、私の場合、本屋に目的を探して入るや否や間髪入れずに催すのだから、
全くもって露骨である。そして、あまりに単純である。

水戸黄門様をヒクヒクさせながら、妙な及び腰で懸命に30分ほど探すも見つからず、
しかたなく通りかかった店員のおねえさんに、「○○著の××はありますかね?」と訊いてみた。
こんなマイナーな本、まさかわかるまい・・・と、高を括っていたのだが、
おねえさんは一瞬キョトンとしたのち、漫画で例えるなら頭の上に裸電球が「ポンッ」と浮かんだ
ような表情を見せ、自信満々に「こちらにありますよ~」といざなってくれた。
「まさか・・・」と半ば訝しみながら付いてゆくと、おねえさんが迷いなく進んだ先には、
間違いなく私が探していたその本が、膨大な数の本に埋もれてポツンと一冊だけ・・・いた。

すごい・・・。ブックオフねえさん侮れず・・・。

おそらく陳列係であろうそのおねえさんは、目的の本をパソコンで検索して陳列棚を探したりする
のではなく、自分の並べたその本のありかを憶えていたのだ。

そのおねえさんのあまりに見事な仕事っぷりに、思わず「おねえさん・・・すごいですね!」
と言うと、おねえさん「いえいえ」とニッコリ笑って「見つかってよかったですね」と去っていった。

もしかしたら、暴れだしそうな水戸のご老公様を宥めすかしつつ、ヘコヘコと店内を本を探して
彷徨っていた私に気づいていたのかも知れない。おねえさんの「よかったですね」には、そんな
ニュアンスが含まれていたような気がする。
ただのヘンなジイ様かと思っていたのが、実は恐れ多くも先の副将軍だとわかったときの
村人その一みたいに「へへぇ~」と、侮っていたおねえさんに頭が下がる思いだった。

そして、その日も本屋を出ると私の下腹部は、印籠を格さんに出してもらって一件落着した
ご老公様みたいに、おとない好々爺に戻ったのだった。いったいなんなのだ。

冷たい春雨降りしきる屋根の下、ゆるりと晴耕雨読の午後である。

model yuuri
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# by hideet-seesaw | 2011-04-19 16:20 | photograph
sylvan trumpeter
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BGM♪ What a wonderful world / Louis Armstrong


ジャズが好きである。

音楽はジャンルにとらわれず幅広く好きなのだが、一時ジャズしか聴かないほどハマった
ときがあった。

自己満足なモノマネが好きなので、"サッチモ"ことルイ・アームストロングのガラガラ声をマネて
”この素晴らしき世界”を熱唱してみたり、ダイアナ・クラールのライブビデオを観ながら、
ドラムスのマネしてエアドラムを叩いて、ビデオから聞える歓声を自分に向けられている錯覚
に陥って、一人悦に浸ったりして過ごしていた。

馬鹿である。

そんなジャズ熱が高じて、数年前のある日、なけなしの金を叩いてトランペットを買ってしまった。
買えば吹けると安直に思ったのだ。

魯鈍である。

金色のピカピカのトランペットを手に入れて眺めていると、それだけで「俺もついにペッター
(トランペッター)だ・・・ぐふふふ」などと、結構満足してしまう。それくらい、サックスにしろ
トロンボーンにしろ、完成された形の管楽器というものは心奪われるくらい美しいものだ。

が、私が吹くとなるとその音はまったく美しくなかった。それはそうだ。初心者が一朝一夕で
吹けるほど、中世ルネサンス時代から連綿と受け継がれているその楽器は甘くはない。
ならば練習あるのみ。と、仕事を終えた夜な夜な家で吹いてみたのだが、
かなり音が大きい上に、ドミソも出せないドヘタクソな音なんて、近所迷惑この上なくて途方に暮れて、
いたずらにトランペットを磨くだけの日々が続き、思い切り吹いて練習したいというフラストレーションが募るばかりであった。

そこで少ない脳ミソを捻って一計を講じ、夜中の山奥に行けば、誰もいないし吹き放題だ!との名案を思いついた。
幸い、私の住むあきる野市には山がたくさんある。というか、山しかない。

道なき山道を愛車チビジープの四輪駆動にモノを言わせてガンガン登り、夜な夜な山に赴く日々が
数日続いて、ちょっとだけ吹ける様になってきた。だが、当時勤めていた飲食業の仕事のあとの
「夜山練習」に体力が付いてゆかなくなり、季節も10月半ばと寒さが増してきたのも手伝って、
ある日パタリと止めてしまった。

いつの日か、大きなライブ会場で満場の観客の前で喝采を浴びる夢はいとも容易く諦め、
自分の継続力のなさに自己嫌悪になったものだ。

ライブ会場いっぱいの観客どころか、私の演奏を聴いたのは山のタヌキとモモンガくらいのもので、
その音色だって、しずかちゃんのバイオリン並みだった。いや、ジャイアンの「ボェ~」という歌声並みだった。

半年ほど経って、使わなくなったトランペットが「宝の持ち腐れ」状態なのがやるせなくて、
ネットオークションに出品してみると、ほどなく大阪に住むとある男性が落札してくれた。

普通、ネットオークションのやりとりなんて、とても事務的で淡々と必要事項以外は語らず終わるのだが、
その男性は「娘が今度中学生になり、吹奏楽部に入部したいというので、状態の良さそうな
こちらのトランペットを落札させていただきました。」などと
取引メールに書いてくださったので、発送の際に「娘さんの吹奏楽部でのご活躍を願っております云々・・・」
などと手書きの手紙を添えて出してみたら、数日後、その男性と娘さんから丁寧であたたかい
手書きの手紙が届いたのだ。

父「こんなふうにオークションで人間らしいやりとりができたのは初めてです。感謝しております。
トランペットを買ってやったおかげで、娘と最近会話が弾んでおります。」
娘「吹奏楽部で高水さんから譲ってもらったキレイなトランペットでがんばります!大切に使います!」

などと書かれていて、とても嬉しく思ってさらに返事を書くと、その年の夏にも暑中見舞、そして
正月には年賀状まで送ってくださったのだ。

トランペッターになる夢は結構早い段階で簡単に挫折してしまったが、タヌキとモモンガの耳に
雑音を響かせただけの私のトランペットが、遠く大阪に住むあたたかい親子のもとに渡り、
顔も知らないその親子との小さな交流を持てたことを思い出すだけで、心に気持ち良い春の風が吹く。

それはちょうど、桜の咲くこんな時期のことであった。


photo : iruma Oct. 2006
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# by hideet-seesaw | 2011-04-08 16:34 | photograph
four seasons from the backyard garden
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BGM♪  Traumerei / Schumann 


我が家のトイレには換気扇がない。

よってトイレの窓は臭覚的衛生上、常に開け放たれている。
幸い、窓に面した土地は一軒の古ぼけた空き家の裏庭なので、私の美しくない催し姿を晒すことによる
通行人側の視覚的衛生面を汚すこともない。

最近テレビで知った全裸で就寝する健康法を、好奇心による仮採用中で、夜中に催したとき
全裸のまま入ると、窓が開け放たれたトイレは大層寒くて、なにかの罰ゲームのようで少々閉口だが。

そんな我が家のトイレ窓。座ると目線より少し上なのだが、その空き家の裏庭が良く見える。
雑草に覆われていて、春はまばゆい新緑に冬を越した虫達が踊り、夏は少年時代に駆け回った
野原のような草いきれ漂い、秋は色づく草木に過ぎた季節を偲ばせ、冬は薄鈍色の冷気に霜ついた
散り忘れのわくら葉に垂れる蓑虫を愛でる。

さびた三輪車や苔むした柿の木、埃をかぶった鍬や鋤、朽ちかけている物干し竿などが
あたかも枯山水が石の如く絶妙な位置に侘寂と散在し、四季折々の顔を見せるその隣家の裏庭を眺めつつ
用を足すひと時が、なんとなく好きだった。

先日、夜更けに帰宅して就寝し翌朝目覚めると、トイレと同じ方向に向いた寝室の窓がいつもより
明るいことに気づいた。

はてな、と思いつつ寝起きの厠に向かい、唖然とした。

我が愛する厠どきの借景が、関東ローム層の赤土むき出しの明るい更地になっていた。
前日の留守中に解体耕地されたものと思われる。

こう見えても、枕が替わるだけで寝つきの悪くなる少々神経質な性格であるが故に、
何もなくなった窓からの景色を眺めながらの催しは、なんとも落ち着かない。

なにより、空き家に隠れて見えなかったその向こうの住宅が丸見えである。
要するに、その住民からも私の一番情けない姿が丸見えということである。

こうなると、斜に構えて悪代官を一喝シャウトする、いつも威勢のよい私の水戸肛門様も怖気づき、
オチョボグチでボソボソと意味不明の愚痴を垂れる、ただのジイ様に成り下がってしまった。
これからは窓だって開け放してはおれまい。

私の大好きなあたたかい季節がやってくる。
よく晴れた春の日に、どこかの家から風に乗って聴こえてくる、
たどたどしいバイエルを弾くピアノの音をBGMに眺める裏庭は、もう消えてしまった。

誰の目にも無用の長物であったその古ぼけた空き家と裏庭が、一人の男の厠どきの慰めであったことを誰も知るまい。
更地にぽつねんと佇む、細い針金のような雨に打たれるショベルカーを眺めつつ、ひとつ白い溜息をついてみた。
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# by hideet-seesaw | 2011-03-23 21:48 | photograph
geeky Columbus
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BGM♪ Carnival / The Cardigans


メジャーデビューをして人気が出たミュージシャンを見て、

「俺はあのバンドを、インディーズの頃から一目置いて、温かく見守ってきたのだ。やはり売れたな。
俺が目を掛けたバンドは、だいたいそうだ。ふふふ。」

などと、ちょっとキザな音楽評論家気取りで言う方がたまにいる。
この場合の「目を掛けた」とは、きっとローカルなテレビや雑誌で見たりライブに行ったり、ってことだけなのだろうが。
そういう方が、

「でもさ・・・売れ出したら個性のないツマラんバンドになっちまった・・・。ので、もう興味はない。」

などと言う場合がある。
マイナーなインディーズ時代は結構身近な存在で、小さなライブハウスでアットホームに
ファンとコミュニケーションなどを取ったりしていたのが、メジャーデビューで一躍有名になり、遠い存在に
なってしまったのが淋しくて、そしてジェラシーなのかもしれない。そう言いながらも、やはりそのミュージシャンが好きで、
シングルが発売されるや否や、こっそり買って応援してたりするかもしれない。

そう考えれば、例えば・・・東京で一旗あげた男が故郷の田舎に泣く泣く残してきた、貧乏時代に
別れた恋人が、その恋人のことなどすっかり忘れて東京で頑張るその男の成功と活躍を、毎夜健気に
人知れず、夜空の星に祈っているようなイジラシさがあるではないか。

まこと勝手な私の妄想であるが。しかも、なにやら古いタイプの妄想である。

私は、好きな音楽はもっぱら古めの洋楽やジャズ、クラッシックが多いので、新鋭ミュージシャンに対して
前述のファンの方のような気持ちになったことは特にないのだが、最近その気持ちがわかるようになった。
でも、音楽に関してのことではない。

「ラー油」に関しての事である。ここ最近、なにが発端か知らないけど「ラー油」がブームである。

以前はきっとどのご家庭でも、食卓の調味料入れの中の醤油やコショウ、七味唐辛子などの、引っ張りダコの
大物たちの陰にひっそりとベトついたホコリをかぶって、せいぜいお父ちゃんが酔っ払った勢いで買って来た
お土産の餃子の時ぐらいにしか出番のなかった彼女が、最近「食べるラー油」などと出世して、世間では
猫も杓子もラー油ラー油。である。

そんなラー油。私は小学生の頃からあらゆる食事にブチかけまくっていた。ラーメンはもちろん、味噌汁、
生卵ごはん、蕎麦やうどん、挙句の果てにハンバーグやグラタンなど等・・・。香ばしい胡麻油とスパイシーな
唐辛子でできたラー油が合わない料理の方が稀であると、もう20数年も前から思っていたのだ。
しかし・・・当時の世間の目は冷たかった。「秀人、なんでそんなもんにまでラー油をかけるの?キモチ悪い!」
などと、周りから白い目で見られたものだ。旨いものは旨いので、そんな言葉など全然気にならなかったが。
今考えれば、なんと先見明らかなる神童か。それとも、ただの馬鹿の一つ覚えの味覚音痴のアホガキか。たぶん後者。

それがどうだ?最近のラー油ブームはっ!?「食べるラー油」に始まりブームになるや、便乗が便乗を呼んで
ラー油関連製品が各方面から乱発して、いまやラー油市場の売り上げは以前の10倍にも跳ね上がったと
いうではないか。

こうなると、誰もが餃子のときぐらいにしか見向きもしなかったラー油を、20数年前からこよなく愛し続けた
男としては、なんだかオモシロくない。そう。前述のインディーズ時代のファンのような気持ちである。
スーパーの片隅に、忘れ去られたように「辣油・・・」と暗い書体で地味に書いてある小瓶しかなかったものが、
いまやスーパー内のアリーナ席に山と積まれて、ホントに本人がそう言ってんのか甚だ疑問だが
「店長オススメ☆」のフキダシ文句も添えられて、
ご丁寧に店員手描きの「ラー油なるほどレシピ」なんてものまで棚に貼ってあり、馬子にも衣装のカラフルな
デザインの瓶に詰められ、エラソーに陳列されている。値段だってかなりエラソーだ。

そんな大出世を果たし変貌を遂げた、かつての恋人「ラー油子」を、私は「俺だけのものだったのに・・・」と、
そんな身勝手な嫉妬心から許せずにいた。要するに、ブームになってからなんとなくラー油を使わなくなって
しまっていた。そしてさらに要するに、出世したラー油子は値段が張るので「別にいらねーや」と思っていた。

ところが先日、ひょんなことから「ラー油の野沢菜漬け」なる、変わり果てた姿のラー油子を頂いたのだ。
そして大好物の生卵ゴハンにそっと載せて食べてみた。

その数日後、誰も事情は知らないし、誰も気にも留めていないのに、心なしかコソコソと及び腰で、
スーパーの買い物カゴに「食べるラー油」をそっと入れている私がいた。

自分が発見したアメリカ大陸に、人々が押し寄せ国を作ったことをヒガんでスネて、
でも、その国がとても良い国だったので、ちゃっかりコッソリとその国の住人になってしまった、
ものすごくカッコ悪いコロンブスの話である。

model J.mogi
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# by hideet-seesaw | 2011-03-21 10:05 | photograph
god bless you
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被災者の方々、ならびに必死の救助活動、復旧作業を行っている方々、どうかご無事でいてください。

命を落とされた方々のご冥福を深くお祈り申し上げます。

photo tokei-sou
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# by hideet-seesaw | 2011-03-14 21:41 | photograph
delusional spring story.
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→smile delivery

BGM♪ Saudade da Bahia / Dorival Caymmi & Tom Jobim


どうもマヌケな話でいけない。

洗濯をする度に、なぜか靴下が片方だけになってしまう。この超常現象、一体なんなのだろう?
テキトーに洗濯しているので、洗濯機に入れてから干して取り込むまでの、どの段階でなくなるのかも
よくわからない。

わが洗濯機「さとみ」(※部屋の前借主が置いて行ったものを譲り受けた。「さとみ」と命名)に、
靴下だけを何処へかといざなってしまうミラクルホールでも開いているのだろうか?

だが、さとみに顔を突っ込んで覗いて見ても、そんな穴がある様子はない。

はたまた、「中年の汚い靴下(片方)マニア」などという超特異性質な方がいらして、
「おお・・・このヨレ具合、穴の開き具合、色褪せ具合、ラルフローレンのバッタもん具合
・・・一級品の中年靴下デスっ!!いただきマスっ!!」
などと、干してある私のキタナい靴下を物色し、片方だけ持って行ってコレクションして
しまうのだろうか?世の中には、もしかしたらそんな世界観をもつ人がいるのかもしれない。

そんな方がいたら、「古くて壊れそうな(壊れた)ものマニア」という一風変わった懐古趣味をもつ私と、
なんとなく通ずるところもありそうなので、拙宅にお招きして粗茶でも呑みつつ退廃的談義に
花を咲かせてみたいところだが、ついぞそんな方の気配もない。

ならばなにゆえ?

なにゆえ私の靴下は、一週間に一度ほどする洗濯の二回に一回の割合で片方だけ消滅するのであろうか?

片方だけになり、それぞれ形も色柄も違うので、それこそ毛ほどにも役に立ちそうもないその靴下たち。
いつか相方が出てくるかも・・・と、未練がましいセコい考えで捨てずにいるのだが、
涙の再会を果たす靴下カップルは殆どなく、片方靴下専用の引き出しには、たぶんこの世の中に
於いて一位二位とまではいかないが、六位くらいには入るくらい「必要のないもの」であろう
「中年男の穿き古した安物の靴下(片方だけ)」が増える一方である。

キムタクやジョニー・デップが穿いていたとなるなら話は別だろうが。

パペットでも作って、近所の小学校の前で「かわいそうなくつしたちゃん」とかいう
自作の哀愁人形劇でもやって、「靴下おじさん」としてチビッコたちの人気を集めてしまおうか。
不気味がられて石投げられるだけか・・・。それでは自分自身が哀愁である。

いっそのこと、それらの靴下をぎゅうぎゅうにつめたクッションでも作り、
軒下に「マニアさん江 片方靴下だけで作りました。差し上げます。P.S. 今度ウチでお茶でも如何ですか?」
とでも書いて置いておこうか。

そう言えば・・・以前知り合いがお宅で飼っていたワンコは、自ずから鎖を器用に外し、
女性の下着だけをどこからか咥えて持ってきてしまうという「ド変態犬」だったらしい。
飼い主ご家族は、さぞかし迷惑であっただろう。「ウチの犬が持ってきちゃって・・・。」なんて、
下手に警察に届けたりすれば、「ホントに犬が持ってきたのか?」と、お巡りさんにお父さんが疑われること
間違いないだろうし。

そんな感じのワンコが私の家の近くにもいて、靴下だけ蒐集しているのだろうか?
だとしたら、その下着犬より大分趣味が悪いと思う。

天気が良いので「さとみ」をガンガン回している、春雪の屋根より溶け滴る昼下がりである。

model Aki
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# by hideet-seesaw | 2011-03-08 12:22 | photograph
smile!smile!
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BGM♪ Smile / Elvis Costello


心なしか、ニュースを観ていても悲しく暗くなるような出来事ばかり・・・。
なんだか見ていて明るくなれるものはないのかな・・・。

最近殊によく聞く話である。

かく言う私もテレビなどを見ていて、悲惨な、非情な、残酷な、無気力なニュース
ばかりで、ホトホトうんざりしていた。最近明るい気持ちになったニュースと言えば、
憶えいるのでは児童施設にランドセルを匿名で贈った「タイガーマスク」の件くらいであろうか。

なにかこう・・・見ていて明るい気持ちになるものはなんだろう?って考えると、
それは霊長類ヒト科ヒト目ホモ・サピエンスたる人間にのみ与えられた「笑顔」という、
見れば無条件に明るくなれるものが日常にあるではないか。

どんなに普段怖い人だって笑えば周りは和んだり、
どんなに悲しいときだって笑えばなんとかなるさって気持ちになったり、
笑えば幸せな気持ちになることなんて、赤ちゃんだって知っている。
あのゴルゴ13だって、機嫌が良いときなんて第六巻「喪服の似合うとき」で花売りの少女に
微笑んじゃったりしている。

てなワケで、ちょうどランドセルを児童施設に贈ったりしようかなぁ・・・と思っていた矢先に
「タイガーマスク」さんに先を越されてしまったので(ウソです)、笑顔の写真を撮るのが
大好き私は、みなさまに笑顔のお裾分けでもしてみようかな、と思いたったのであります。

これまで出逢った、そしてこれから出逢う天衣無縫の笑顔たちを、このseesawとは別に下記の
ブログにて発信してまいります。

一瞥していただければ幸いと存じます。

"smile delivery"

今後とも、この"seesaw"共々宜しくお願いいたします。

model hiromi & momoyo
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# by hideet-seesaw | 2011-02-24 21:04 | photograph
little whiskered man.
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BGM♪ Angie / The Rolling Stones


「馬鹿のひとつ覚え」の傾向な私である。

たとえば、初めてゆく中華料理屋で数あるメニューの中から、その日たまたま「レバニラ炒め」を
頼んだとする。それがものすごく美味しかったとする。

そうなると、もうその店では他のメニューを頼むという考えはなくなり、その店に赴く限り、
永遠と「レバニラ炒め」を頼み続けたりする。もし最初に頼んだのが「タンメン」で、それが美味かったなら、
私にとってのその店の定番はずーっと「タンメン」であっただろう。

私はそんなワンパターンなヤツである。

自ら己の世界を狭くしているようなこの傾向も、思いがけぬときに役に立つ(?)ことがある。

先日、ふとしたことで懐かしき「スーパーマリオ(初代)」をやるきっかけがあったのだが・・・
ものすごく久しぶりなので、どれだけプレイに手古摺るかと思いきや、なかなかどうして私の操る
あのヒゲチビオーバーオールの元気なオッサンは、人相の悪い栗のようなヤツを容赦なく踏み潰すは、
亀をビビらせて蹴飛ばすは、蹴飛ばしたその亀でヘルメットのようなヤツらを片っ端から撥ね飛ばすは、
ブロック塀をボッコボッコとブッ壊すわ、階段で亀を蹴飛ばしまくり自らの命を100倍まで増やすは、
デカいキノコを拾い食いしまくるは、落ちている金貨を拾得物横領しまくるは、口から火の玉を吐きまくるは・・・。
あれよあれよとクリアしてしまったではないか。

それにはワケがあった。ずばり「昔取った杵柄」である。

あれは小学校低学年のころ。当時爆発的に流行っていたのが初代「ファミコン」である。
ご多分に漏れず私も当時ノドから手も足も、なんなら頭や尻だって出してよいほど欲しかった。

が、私の父親はユーモラスでひょうきんで、フィールドに於いては、川にゆけば即席の釣竿で
ヤマメを釣ったり、山に入れば食用と毒のキノコを百発百中で見分けるし、うなぎを捕まえて蒲焼を
作ってくれたり、蜂の子やカエルの旨さを教えてくれたりと、アウトドアでは天下無敵の遊びの天才。
それこそ傍若無人なスーパーマリオの様なオヤジ様であったが、
こと、インドアで遊ぶ市販のゲームや玩具といったものに関しては、救いがたい程の謹厳居士な
磯野波平の様なオヤジであったが故に、「おとう。おら、ファミコンさ欲しいだよ・・・」
と言ったところで「そっだらもん、ウチにはいらん。目が悪ぐなる。頭も今より悪ぐなる。」
という鶴の一声で、私はファミコン一刀両断の憂き目に遭ってしまった。

今にして思えば、ハマると文字通りイノシシがごとく猪突猛進してしまう性格の私を慮って、
コイツはゲームの虜になってしまう・・・と心配したが故の「ウチではファミコンは買い与えません」宣言だったのだろう。
きっとあの頃の私にファミコンを与えていれば、間違いなく今頃は筋金入りのゲームオタクに
なっており、日がな一日バーチャルな世界の住人になってしまっていただろう。
父親の炯眼にただ脱帽するばかりである。

が、当時ファミコンのファの字も知らずに生活し、集ってファミコンをやろうと同級生たちが
ソフトを持ち寄って遊んだりするのに、持ち寄るソフトもなくプレイしても全然できない・・・なんて
友人たちから軽く村八分の待遇をされてしまった私を不憫に思ったのか、山梨に住む母方の祖父が、
山梨に遊びに来たとき限定で、祖父の買ったファミコンをやらせてくれたのだ。

言うまでもなく、明けても暮れてもファミコン三昧の甘い生活を求めて山梨まで中央線に乗り
足繁く赴いたものだった。ちなみにその祖父というのがハイカラな人で、自らもファミコンを楽しんでいたのだ。

そこで私がやったゲームというのが、件の「スーパーマリオ」であった。他にもいろいろソフトが
あったのだが、殆ど目もくれず、ずーーーっとスーパーマリオをやっていた。最後までクリアしても、
また最初からやり直す・・・という異常な反復行動を繰り返し、大袈裟でなく、それこそ目を瞑っていても
クリアできるのではないかという域まで達したのだった。そう・・・この頃から私は「馬鹿のひとつ覚え」
であったのだ。

そんなワケで、先日「超久しぶり」にやったスーパーマリオなのに、勝手に指が動き、
難なくクリアしてしまったという「昔撮った杵柄」なのだ。

それにしても・・・遊びに来ては、明けても暮れても「スーパーマリオ」のスタート&クリアを限りなく反復する
アホな孫を見て、祖父や祖母はきっと少し不安な気持ちになり、そして動物園の狭い檻の中で、
同じところを同じ動作でぐるぐる回る、見ていてちょっと痛いオオカミでも見たような気持ちになったことだろう。

体で覚えたことは忘れないというが、それを切実に実感した日であった。

model desperado
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# by hideet-seesaw | 2011-02-18 00:25 | photograph
country hick
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BGM♪ Home Sweet Home / Amelita Galli-Curci 


先日、とある待ち合わせのために「新宿アルタ前」という、「上野の西郷どん」「渋谷の忠犬ハチ公」
などと並ぶ定番スポットに赴いたときのこと。

11時45分に待ち合わせていたのだが、先方から少々遅れるとの連絡があり、忠犬のようにただ
ひたすら待つのも無粋なので、最近買ったiPhoneを片手にインターネットでもしつつ、都会の
男を気取ってクールに待ってみることにした。

実は丸くてデカい郵便ポストが現役で働いている横に野菜の無人販売があり、そこいらのジイ様は
トラクターをスクーター代わりに公道を乗り回したり、朝には雄鶏の鳴く声で目が覚める様な
ところに住み、「~だんべぇ?」とか語尾につく西多摩弁が一番喋り易いくらいのド田舎者なのに、
たまにトコトコと新宿なんぞに下山してくれば、田舎者の悲しい性で、つい、いらん「俺は都会の男演技」をしてしまう。

「俺ぁイナカモンじゃないもんね。(一応)東京都民だもんね。だからアイホンだって
待ち合わせ中にササっとイジってヤフーだって見れるし、アルタ前だからってあのデカいモニター
をボケ~っと見上げてたりしないし、フリスクだって小粋に口に入れちゃうもんね。」と。

そんなこと考えてる時点で、十分イナカモンなのだが。
故に「iPhone=都会」という勘違い甚だしい単純バカな方程式を作り上げたりしてしまったりするのだ。

実際、いくら都会者ぶったって、渋谷の雑踏でガチャピンとムックの様な着ぐるみを纏って闊歩する若者や、
志茂田景樹の様なカゲキな格好で表参道のオープンカフェで普通にコーヒーを飲むオジサンに出くわすと、
びっくらコイて凝視してしまう。周りを見れば、誰もそんなモンに興味を奪われている人はいないのに。
中央線や山手線の中でだって、いまや誰も見ていない車内の動画モニターの広告を、飽かずじぃ~っと眺めてしまう。

さて、そんなイナカモンがiPhoneを弄びつつ壁に寄りかかり、ちょっと難しげななニヒル顔を演じて
人を待っているところに、なにやらアルタ前が騒々しくなってきた。

そう。お昼のアルタ前と言えば「笑っていいとも!」のオープニング画面で、一般人を一瞬映すの
である。その為に、映りたい人たちが集まってきたのだった。

「けっ。イナカモンどもが。」と心の中で呟く私。しかし、毒づいたものの「いいとも
のオープニングに映ってみたい・・・」という衝動がムクムクと沸いてきた。

なぜなら、私自身がそのイナカモンだから。

実家の居間でコタツに入り煎餅でもカジりつつ、この番組が大好きで、今日も絶対観ている母親に
電話を掛け「俺、映ってんべー?右・・・あ、そっちから見て左!左にいんべ!?」
などとやってみたい。と。

しかし、いつかウィッキーさんにズームインで「ワンポイント英会話」の街角インタビューを
受けてみたいから、武蔵五日市駅に来ないかな~と切に願っていた田舎少年は、オッサンになり
羞恥心という鎧を着てしまっていた。

だが、せっかくこんな場面に遭ったのに何もしないのは勿体ない・・・と思い、持っていた
iPhoneをビデオカメラにして「映ってるひとたちを映す」ことにした。
映るのは恥ずかしいが、テレビに映るそんな場面を活かしたいが故に、
そんなコペルニクス的転回の発想を思いついた。
知らない人たちを勝手に撮るのもどうかと思ったが、全国ネットで己の姿を晒したい人たちなので
よしとした。

録った動画を観てみると、テレビカメラに向かって笑顔で手を振る大勢の「映りたい」ひとたちと、
何事もないように脇目も触れず通り過ぎてゆく新宿の都会人たちが映っていた。

脇目も触れず通り過ぎてゆく都会の人たちと違い、テレビに映ろうとひしめく群衆の周りで、
それを珍しがって撮ろうとウロチョロと右往左往していた私は、やはり生粋のイナカモンであろう。

Suicaってものを使ってみようかと考えてみる、雪の降る二月の午後である。
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# by hideet-seesaw | 2011-02-11 15:29 | photograph