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smile!smile!
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BGM♪ Smile / Elvis Costello


心なしか、ニュースを観ていても悲しく暗くなるような出来事ばかり・・・。
なんだか見ていて明るくなれるものはないのかな・・・。

最近殊によく聞く話である。

かく言う私もテレビなどを見ていて、悲惨な、非情な、残酷な、無気力なニュース
ばかりで、ホトホトうんざりしていた。最近明るい気持ちになったニュースと言えば、
憶えいるのでは児童施設にランドセルを匿名で贈った「タイガーマスク」の件くらいであろうか。

なにかこう・・・見ていて明るい気持ちになるものはなんだろう?って考えると、
それは霊長類ヒト科ヒト目ホモ・サピエンスたる人間にのみ与えられた「笑顔」という、
見れば無条件に明るくなれるものが日常にあるではないか。

どんなに普段怖い人だって笑えば周りは和んだり、
どんなに悲しいときだって笑えばなんとかなるさって気持ちになったり、
笑えば幸せな気持ちになることなんて、赤ちゃんだって知っている。
あのゴルゴ13だって、機嫌が良いときなんて第六巻「喪服の似合うとき」で花売りの少女に
微笑んじゃったりしている。

てなワケで、ちょうどランドセルを児童施設に贈ったりしようかなぁ・・・と思っていた矢先に
「タイガーマスク」さんに先を越されてしまったので(ウソです)、笑顔の写真を撮るのが
大好き私は、みなさまに笑顔のお裾分けでもしてみようかな、と思いたったのであります。

これまで出逢った、そしてこれから出逢う天衣無縫の笑顔たちを、このseesawとは別に下記の
ブログにて発信してまいります。

一瞥していただければ幸いと存じます。

"smile delivery"

今後とも、この"seesaw"共々宜しくお願いいたします。

model hiromi & momoyo
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by hideet-seesaw | 2011-02-24 21:04 | photograph
little whiskered man.
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BGM♪ Angie / The Rolling Stones


「馬鹿のひとつ覚え」の傾向な私である。

たとえば、初めてゆく中華料理屋で数あるメニューの中から、その日たまたま「レバニラ炒め」を
頼んだとする。それがものすごく美味しかったとする。

そうなると、もうその店では他のメニューを頼むという考えはなくなり、その店に赴く限り、
永遠と「レバニラ炒め」を頼み続けたりする。もし最初に頼んだのが「タンメン」で、それが美味かったなら、
私にとってのその店の定番はずーっと「タンメン」であっただろう。

私はそんなワンパターンなヤツである。

自ら己の世界を狭くしているようなこの傾向も、思いがけぬときに役に立つ(?)ことがある。

先日、ふとしたことで懐かしき「スーパーマリオ(初代)」をやるきっかけがあったのだが・・・
ものすごく久しぶりなので、どれだけプレイに手古摺るかと思いきや、なかなかどうして私の操る
あのヒゲチビオーバーオールの元気なオッサンは、人相の悪い栗のようなヤツを容赦なく踏み潰すは、
亀をビビらせて蹴飛ばすは、蹴飛ばしたその亀でヘルメットのようなヤツらを片っ端から撥ね飛ばすは、
ブロック塀をボッコボッコとブッ壊すわ、階段で亀を蹴飛ばしまくり自らの命を100倍まで増やすは、
デカいキノコを拾い食いしまくるは、落ちている金貨を拾得物横領しまくるは、口から火の玉を吐きまくるは・・・。
あれよあれよとクリアしてしまったではないか。

それにはワケがあった。ずばり「昔取った杵柄」である。

あれは小学校低学年のころ。当時爆発的に流行っていたのが初代「ファミコン」である。
ご多分に漏れず私も当時ノドから手も足も、なんなら頭や尻だって出してよいほど欲しかった。

が、私の父親はユーモラスでひょうきんで、フィールドに於いては、川にゆけば即席の釣竿で
ヤマメを釣ったり、山に入れば食用と毒のキノコを百発百中で見分けるし、うなぎを捕まえて蒲焼を
作ってくれたり、蜂の子やカエルの旨さを教えてくれたりと、アウトドアでは天下無敵の遊びの天才。
それこそ傍若無人なスーパーマリオの様なオヤジ様であったが、
こと、インドアで遊ぶ市販のゲームや玩具といったものに関しては、救いがたい程の謹厳居士な
磯野波平の様なオヤジであったが故に、「おとう。おら、ファミコンさ欲しいだよ・・・」
と言ったところで「そっだらもん、ウチにはいらん。目が悪ぐなる。頭も今より悪ぐなる。」
という鶴の一声で、私はファミコン一刀両断の憂き目に遭ってしまった。

今にして思えば、ハマると文字通りイノシシがごとく猪突猛進してしまう性格の私を慮って、
コイツはゲームの虜になってしまう・・・と心配したが故の「ウチではファミコンは買い与えません」宣言だったのだろう。
きっとあの頃の私にファミコンを与えていれば、間違いなく今頃は筋金入りのゲームオタクに
なっており、日がな一日バーチャルな世界の住人になってしまっていただろう。
父親の炯眼にただ脱帽するばかりである。

が、当時ファミコンのファの字も知らずに生活し、集ってファミコンをやろうと同級生たちが
ソフトを持ち寄って遊んだりするのに、持ち寄るソフトもなくプレイしても全然できない・・・なんて
友人たちから軽く村八分の待遇をされてしまった私を不憫に思ったのか、山梨に住む母方の祖父が、
山梨に遊びに来たとき限定で、祖父の買ったファミコンをやらせてくれたのだ。

言うまでもなく、明けても暮れてもファミコン三昧の甘い生活を求めて山梨まで中央線に乗り
足繁く赴いたものだった。ちなみにその祖父というのがハイカラな人で、自らもファミコンを楽しんでいたのだ。

そこで私がやったゲームというのが、件の「スーパーマリオ」であった。他にもいろいろソフトが
あったのだが、殆ど目もくれず、ずーーーっとスーパーマリオをやっていた。最後までクリアしても、
また最初からやり直す・・・という異常な反復行動を繰り返し、大袈裟でなく、それこそ目を瞑っていても
クリアできるのではないかという域まで達したのだった。そう・・・この頃から私は「馬鹿のひとつ覚え」
であったのだ。

そんなワケで、先日「超久しぶり」にやったスーパーマリオなのに、勝手に指が動き、
難なくクリアしてしまったという「昔撮った杵柄」なのだ。

それにしても・・・遊びに来ては、明けても暮れても「スーパーマリオ」のスタート&クリアを限りなく反復する
アホな孫を見て、祖父や祖母はきっと少し不安な気持ちになり、そして動物園の狭い檻の中で、
同じところを同じ動作でぐるぐる回る、見ていてちょっと痛いオオカミでも見たような気持ちになったことだろう。

体で覚えたことは忘れないというが、それを切実に実感した日であった。

model desperado
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by hideet-seesaw | 2011-02-18 00:25 | photograph
country hick
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BGM♪ Home Sweet Home / Amelita Galli-Curci 


先日、とある待ち合わせのために「新宿アルタ前」という、「上野の西郷どん」「渋谷の忠犬ハチ公」
などと並ぶ定番スポットに赴いたときのこと。

11時45分に待ち合わせていたのだが、先方から少々遅れるとの連絡があり、忠犬のようにただ
ひたすら待つのも無粋なので、最近買ったiPhoneを片手にインターネットでもしつつ、都会の
男を気取ってクールに待ってみることにした。

実は丸くてデカい郵便ポストが現役で働いている横に野菜の無人販売があり、そこいらのジイ様は
トラクターをスクーター代わりに公道を乗り回したり、朝には雄鶏の鳴く声で目が覚める様な
ところに住み、「~だんべぇ?」とか語尾につく西多摩弁が一番喋り易いくらいのド田舎者なのに、
たまにトコトコと新宿なんぞに下山してくれば、田舎者の悲しい性で、つい、いらん「俺は都会の男演技」をしてしまう。

「俺ぁイナカモンじゃないもんね。(一応)東京都民だもんね。だからアイホンだって
待ち合わせ中にササっとイジってヤフーだって見れるし、アルタ前だからってあのデカいモニター
をボケ~っと見上げてたりしないし、フリスクだって小粋に口に入れちゃうもんね。」と。

そんなこと考えてる時点で、十分イナカモンなのだが。
故に「iPhone=都会」という勘違い甚だしい単純バカな方程式を作り上げたりしてしまったりするのだ。

実際、いくら都会者ぶったって、渋谷の雑踏でガチャピンとムックの様な着ぐるみを纏って闊歩する若者や、
志茂田景樹の様なカゲキな格好で表参道のオープンカフェで普通にコーヒーを飲むオジサンに出くわすと、
びっくらコイて凝視してしまう。周りを見れば、誰もそんなモンに興味を奪われている人はいないのに。
中央線や山手線の中でだって、いまや誰も見ていない車内の動画モニターの広告を、飽かずじぃ~っと眺めてしまう。

さて、そんなイナカモンがiPhoneを弄びつつ壁に寄りかかり、ちょっと難しげななニヒル顔を演じて
人を待っているところに、なにやらアルタ前が騒々しくなってきた。

そう。お昼のアルタ前と言えば「笑っていいとも!」のオープニング画面で、一般人を一瞬映すの
である。その為に、映りたい人たちが集まってきたのだった。

「けっ。イナカモンどもが。」と心の中で呟く私。しかし、毒づいたものの「いいとも
のオープニングに映ってみたい・・・」という衝動がムクムクと沸いてきた。

なぜなら、私自身がそのイナカモンだから。

実家の居間でコタツに入り煎餅でもカジりつつ、この番組が大好きで、今日も絶対観ている母親に
電話を掛け「俺、映ってんべー?右・・・あ、そっちから見て左!左にいんべ!?」
などとやってみたい。と。

しかし、いつかウィッキーさんにズームインで「ワンポイント英会話」の街角インタビューを
受けてみたいから、武蔵五日市駅に来ないかな~と切に願っていた田舎少年は、オッサンになり
羞恥心という鎧を着てしまっていた。

だが、せっかくこんな場面に遭ったのに何もしないのは勿体ない・・・と思い、持っていた
iPhoneをビデオカメラにして「映ってるひとたちを映す」ことにした。
映るのは恥ずかしいが、テレビに映るそんな場面を活かしたいが故に、
そんなコペルニクス的転回の発想を思いついた。
知らない人たちを勝手に撮るのもどうかと思ったが、全国ネットで己の姿を晒したい人たちなので
よしとした。

録った動画を観てみると、テレビカメラに向かって笑顔で手を振る大勢の「映りたい」ひとたちと、
何事もないように脇目も触れず通り過ぎてゆく新宿の都会人たちが映っていた。

脇目も触れず通り過ぎてゆく都会の人たちと違い、テレビに映ろうとひしめく群衆の周りで、
それを珍しがって撮ろうとウロチョロと右往左往していた私は、やはり生粋のイナカモンであろう。

Suicaってものを使ってみようかと考えてみる、雪の降る二月の午後である。
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by hideet-seesaw | 2011-02-11 15:29 | photograph
irresponsible dreamer
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BGM♪ Sicilienne, Op. 78 / Gabriel Fauré


中学生くらいのときから疑問に思っていたことを、ふと思い出してインターネットで調べてみた。

「夢」という言葉がある。寝ているときに見るのも「夢」。未来へ向ける希望も「夢」。
そして、英語で言う"Dream”も、寝るときに見るのも、未来への希望も同じ"Dream" 。

もともと全然意味が違うものなのに、どうして日本語も英語も同じ言葉を使うのかなぁ・・・
国境を越えたステキな偶然か?・・・と。

調べてみると、なんのことはない。
日本ではもともと「夢」は寝ているときに見るアレの意味しかなかったものが、
"Dream"に両方の意味を持つ英語の翻訳をするような時代になって、次第に日本語の「夢」にも
「未来への希望」の意味が付いただけのことだそうだ。ちょっと残念である。

「夢」と言えば、誰しも忘れられない「夢」が一つや二つはあるのではなかろうか。
寝るときに見るアレの方で。

それは私が小学2年生ぐらいの頃。楽しみにしていた地元の秋祭りに、祖母から岩倉具視が描かれた
折り目だらけのヨレた五百円札をもらい、姉と連れ立って赴いたときのこと。
綿菓子カタヌキ杏飴。魅力的な出店が軒を連ね、闇に浮かぶ無数の裸電球に羽虫が舞っていた。

姉とふたり思い思いに出店を物色していると、ふと一つの出店の前で足が止まり、そこに売って
いる蛍光色の緑色をしたペンライトのキーホルダーが、とても魅力的なものに見えて目が釘づけに
なり、今にして思えば何故そんなものを気に入ったのかよくわからないが、500円分の300円という
大枚を叩いて買ってしまったのだ。その後、残りの200円で何を買ったか忘れたが、現在ダイソー
に於いて100円で買えるそれよりも、大分見劣りのするそのペンライトを持ち、ちっとも明るくない
その光でアスファルトを照らしつつ、とても満足しながら帰路に着いたのを憶えている。

その夜見た夢というのが、真夜中の見知らぬ不気味な山中で、なぜか一人迷子になった自分がおり、
祭りで買ったその小さなペンライトで足元を照らしつつ、しくしくと泣きながら人里を探して彷徨うという、
なんとも心細く悲しいものだった。なぜ、その悲しく淋しい夢をいつまでも憶えているかと言うと、
その夢の中ではペンライトの光がまばゆい虹色で、それが照らす山の木々や獣道がとても美しかったからだ。

今でも忘れ得ぬ、悲しくて、少しだけ美しい夢である。

そして今朝、どこかの町内会の小汚い会館みたいなとこで、果てしなく長いボンレスハムを永遠と
スライスし続ける、なんとも脱力的かつ非生産的かつ虚無的かつ意味不明な夢を見た。
そしてムサ苦しくてクソ寒い北向き四畳半の寝室で、近所の犬のけたたましい吠え声で目が覚めた。

美しい夢のない大人になってしまった。
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by hideet-seesaw | 2011-02-03 01:51 | photograph