okuribi
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BGM♪ Will you dance? / Janis Ian


先日の黄昏どき。実家にふらりと寄ってみると、玄関先になにやら燃やした跡があった。
はてなんだろう・・・?と思いふと見れば、まわり近所でも玄関先に人が出て何かを燃やしており、
燻った煙の匂いが、あたりをぼんやりと漂っている。

ああ・・・「迎え火」か。と、なんだか久しぶりに見たその光景に、ツンと懐かしき思い出が蘇った。

保育園の年長くらいの頃だっただろうか。このお盆の時期には、ほおずきで彩られ、
胡瓜や茄子に棒を刺した精霊馬が仏壇を飾る。
それらをこしらえる、毎朝「般若心経」を欠かさず唱えていた信心深い祖母に、興味津々で訊ねたものだ。
何でナスやキュウリをウマにするのか?と。「死んだおじいちゃんや、そのまたおじいちゃんたちが、
このナスのおウマに乗って、天国から少しの間だけ帰ってくるんだよ」と、教えてくれたものだ。

幼心にそれがなにやら大層面白く、茄子の馬を手に持って、天からその馬に跨り降りてくる様を想像して、
記憶もおぼろな亡き祖父の声を模して「ただいま~。じいちゃんだよ~。生き返った!」などと、
仏壇の前で飽かず遊んだ記憶がある。今思えば、なんとブラックな遊びであろうか。

その数日後の夕方。送り火を焚いてお盆が終わったときに、祖母が私にこう言った。
「秀人。もうキュウリとナスのお馬たちは用事が済んだから、川に流しておいで」と。

ふうん・・・そういうものなのか・・・。と思いつつ、言われたとおりに一人で実家のすぐ脇を流れる川に
その馬たちを持って向って歩いていたのだが、キュウリの馬とナスの馬を見つめていると、
なんだか可哀相な気持ちになってしまったのだ。棒が刺さっていなければ、ただの胡瓜と茄子なのだが、
四つ足となって馬になり、しばし私の玩具となり、そしてじいちゃんを乗せて天まで行ってきたという馬たちに、
妙な情が沸いてきてしまったのだ。夕暮れの色に染まる川の景色の哀愁感も手伝って、ひどく悲しい気持ち
になってしまった。そうなると、もういけない。川に流すなんて可哀相でできなくなり、
そのまま家に引き返してしまい、あろうことかその馬たちを、姉と寝ていた二段ベッドの下に隠してしまったのだ。

そして、忘れた。ドングリを貯蔵の為と地中に埋めて、そのまま忘れるリスの様に。

その数週間後、姉と私の寝起きしている部屋に異臭が漂い始め、妙に小蝿が五月蝿いと姉が訴え出したので、
父が原因を突き止めるべく部屋の捜索にかかったのだ。
その時点でも、私は忘れていた。「一体なにが発見されるんだろう?」と、ワクワクしていたくらいだ。

リスが埋めて忘れたドングリは、春になれば芽を出して自然を育む。
私が隠した胡瓜と茄子は、半ナマのミイラと化して父と姉をおののかせた。
そして、成仏できなかったであろう茄子と胡瓜の馬の変わり果てた哀れな姿を見て、私は泣いた。

model : mikuru uchino

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by hideet-seesaw | 2011-07-20 00:36 | photograph


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