irresponsible dreamer
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BGM♪ Sicilienne, Op. 78 / Gabriel Fauré


中学生くらいのときから疑問に思っていたことを、ふと思い出してインターネットで調べてみた。

「夢」という言葉がある。寝ているときに見るのも「夢」。未来へ向ける希望も「夢」。
そして、英語で言う"Dream”も、寝るときに見るのも、未来への希望も同じ"Dream" 。

もともと全然意味が違うものなのに、どうして日本語も英語も同じ言葉を使うのかなぁ・・・
国境を越えたステキな偶然か?・・・と。

調べてみると、なんのことはない。
日本ではもともと「夢」は寝ているときに見るアレの意味しかなかったものが、
"Dream"に両方の意味を持つ英語の翻訳をするような時代になって、次第に日本語の「夢」にも
「未来への希望」の意味が付いただけのことだそうだ。ちょっと残念である。

「夢」と言えば、誰しも忘れられない「夢」が一つや二つはあるのではなかろうか。
寝るときに見るアレの方で。

それは私が小学2年生ぐらいの頃。楽しみにしていた地元の秋祭りに、祖母から岩倉具視が描かれた
折り目だらけのヨレた五百円札をもらい、姉と連れ立って赴いたときのこと。
綿菓子カタヌキ杏飴。魅力的な出店が軒を連ね、闇に浮かぶ無数の裸電球に羽虫が舞っていた。

姉とふたり思い思いに出店を物色していると、ふと一つの出店の前で足が止まり、そこに売って
いる蛍光色の緑色をしたペンライトのキーホルダーが、とても魅力的なものに見えて目が釘づけに
なり、今にして思えば何故そんなものを気に入ったのかよくわからないが、500円分の300円という
大枚を叩いて買ってしまったのだ。その後、残りの200円で何を買ったか忘れたが、現在ダイソー
に於いて100円で買えるそれよりも、大分見劣りのするそのペンライトを持ち、ちっとも明るくない
その光でアスファルトを照らしつつ、とても満足しながら帰路に着いたのを憶えている。

その夜見た夢というのが、真夜中の見知らぬ不気味な山中で、なぜか一人迷子になった自分がおり、
祭りで買ったその小さなペンライトで足元を照らしつつ、しくしくと泣きながら人里を探して彷徨うという、
なんとも心細く悲しいものだった。なぜ、その悲しく淋しい夢をいつまでも憶えているかと言うと、
その夢の中ではペンライトの光がまばゆい虹色で、それが照らす山の木々や獣道がとても美しかったからだ。

今でも忘れ得ぬ、悲しくて、少しだけ美しい夢である。

そして今朝、どこかの町内会の小汚い会館みたいなとこで、果てしなく長いボンレスハムを永遠と
スライスし続ける、なんとも脱力的かつ非生産的かつ虚無的かつ意味不明な夢を見た。
そしてムサ苦しくてクソ寒い北向き四畳半の寝室で、近所の犬のけたたましい吠え声で目が覚めた。

美しい夢のない大人になってしまった。
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by hideet-seesaw | 2011-02-03 01:51 | photograph


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