人気ブログランキング | 話題のタグを見る
smile like a sunflower
smile like a sunflower_a0152148_23515799.jpg


BGM♪ Here,There and Everywhere / The Beatles


先日、ニュースを見ていたらスペインのとある教会で起きた珍妙な出来事を報道していた。
時を経て劣化しているキリストの壁画を、80代の老婆が勝手に修復してしまったというのだ。
そして、出来上がったキリストの絵が・・・原型を殆ど留めない、なんともシュールかつ大胆な
リメイクを施されており、教会関係者や付近の住民が仰天してしまったというのだ。(→※参照

関係者は非常に困惑し、修復を試みた当の本人も「こんなハズではなかった・・・。」と、とても反省している
ようだが、私は図らずもこのリメイク・イエス様の絵を見て。。。

20分くらい大爆笑してしまった。

正直言ってあまり上手くない。というか下手である。不敵に見下しているサルの様にも見える。
この絵みたいな感じのおば様、近所にいそうである。実際、さっき近所のスーパーいなげやの鮮魚コーナーに、いた。
子持ちししゃもを買っていた。ついでに言うと、私はイワシの丸干しを買った。安かった。

教会関係者や以前の絵に慣れ親しんだ住民の方々には甚だ申し訳ないが、何度見ても無条件に笑って
しまうパワーを持った滑稽な絵である。この大胆な修復をしてしまった老婆は、きっと敬虔なクリスチャンなので
あろう。劣化してゆくキリストを哀れみ、見るに見兼ねてやってしまった文字どおり「老婆心」の成せる
業だったのであろう。こう考えると、なんとも憎めない話ではないかと思うのは私だけであろうか。

この珍事件を知った私が、憎めない話というのには理由がある。

あれは私の頭の中に「バイクと異性と音楽」のことしかなかった高校2年生のとき。
当時、若者の間では古着のGパンやGジャン、革ジャンに色褪せたネルシャツ、エンジニアブーツに
ウエスタンブーツ、デッドストックのスニーカー・・・などといったアメリカンカジュアル、略して「アメカジ」が
流行っており、私も「アメカジにすれば女の子に持てるべい!」と思って、汚い古着ファッションに
勤しんでいた。勉強には全然勤しんでいなかった。このアメカジは「アメリカの不良」をイメージさせるのが
コツで、Gパンも革ジャンも傷ついて汚くて穴が開いているくらいのものがカッチョイイとされていた。
性格上、汚くするのは得意な私は、買ったばかりのGパンを穿いて田んぼの泥に浸かってみたり、
ネルシャツをわざと川原の小石でこすってガシガシ洗ってみたりしていた。勉強はちっともしなかったが、
こういうことは頑張った。そしてある日、オシャレな先輩がGパンの裾を切ってバラして穿いているのを見て
「イカす・・・」と思い、さっそくマネして、田んぼの泥に漬け込んでイイカンジに「悪汚れ」しているリーバイス
のGパン「泥田一号」の裾を、祖母の裁ちバサミでばっさりとやって、切り口をほぐしてみた。

・・・ううう!なんてかっこいいの!?と思い、さっそく愛バイクに跨って走ってみた。ほぐしたところが
風になびいて「ひろひろっ」っとしていて、非常にイカすではないか!これは女の子たちが放っておくまい・・・。
などとひとりほくそ笑んで、横田基地沿いの国道16号線を無意味に3往復ほどしてみたのだった。
今考えると非常にダサくてバカ丸出しだが、当時は本気で「俺様のひろひろイカす」と思っていた。

馬鹿の暴走は止まらない。

馬鹿は基本「ひとつ覚え」である。(※参照"little whiskered man")「裾ひろひろ」に味を占めた私は、
その他数本のGパンやチノパンやペインターパンツを次々に「ひろひろ」にして、大変ご満悦であった。
恐らく、それを見た母や父は「バカだからしょうがない・・・」と諦めていたのだろう。特に何も言っては
来なかった。・・・のだが、家族でひとり。そんな私の「ひろひろ暴走」を見るに見兼ねた人がいた。

今は亡き祖母である。

大正生まれで料理も裁縫も得意。毎朝見事な黒髪を結い上げ、着物に着替えて仏壇に般若心経を
唱える様な、曲がったことが嫌いで情深く優しい几帳面な祖母である。毎夜部屋でビートルズを熱唱している
アホな孫が、ズボンの裾上げを上手くできず「ひろひろ」させたままにしているのを不憫に思ったのであろう。
ある日学校から帰ると、ひろひろ仕様にしたハズのズボンたちが、ものの見事に裾を縫製されて私の部屋に
畳まれていたのだった。ひろひろフィーバーが真っ最中の私は、あまりのショックにヨヨヨとその場に崩れ落ち、
しばし呆然と「全体は汚いのに裾口の縫い目だけは異常にキレイ」になってしまったズボンたちをぼんやりと
眺めつつ、途方に暮れていた。そこに割烹着を纏った祖母がしずしずとやってきて
「秀人。ほつれてるの全部綺麗にしておいてやったからね。」
と、得意そうににっこり笑って言うのだ。この、孫を思う愛情と笑顔にはさすがに逆らえず、ただ「あ・・・
アリガトウ・・・」と言ったのを憶えている。そして、私の「ひろひろ青春」はその日、終わりを告げた。

今思い返せば、そんな私のアホな暴走を、美しい縫い目と笑顔で優しい思い出に変えてくれた亡き祖母に、
感謝の気持ちが止まない。この一途にひとつ覚えのバカな孫は、祖母が止めてくれなかったら、きっとその後
数年はひろひろさせていただろう。

そんな思い出が蘇り、スペインの修復おばあさんの行為が、どうしても微笑ましくてならない。そして、
その描いたキリスト画が、笑えて笑えて憎めない。消されてしまった以前の壁画はもう覆水盆に還らずが如く
元には戻らないかもしれないが、盆からこぼれたその水は、土に滴り花を咲かせたのではなかろうか。
今その教会は、修復された絵をひと目見ようと観光客が殺到しているらしい。壁画を汚した罪は罪だが、
事件発覚後寝込んでしまったというこの純粋な老婆を、寛大な心で対処していただきたいものである。

祖母の繕った私のひろひろズボンたちは、今も私の思い出と共に実家の押入れに眠る。
明日あたり、ちゃんと裾口の縫われたGパンを穿いてバイクに乗り、向日葵でも購って祖母の墓前に
手向けようかと思う。

model : sumitaka hikichi
# by hideet-seesaw | 2012-08-29 00:00 | photograph
bee-hoo-woo
bee-hoo-woo_a0152148_22562242.jpg


BGM♪ New Kid In Town / Eagles


世には「珍味」に分類される食べ物が数多くある。
そんな珍味のひとつに「ハチノコ」がある。読んで字の如く蜂の幼虫のことなのだが、
私の父という人は、これに滅法目がない。

この時期になると思い出す。
夜風涼しい夏の宵。開け放した窓から外で飼っている犬を晩酌相手にと座敷に入れて脇にはべらせ、
焼酎の水割りを舐めつつご機嫌にハチノコをつまむ父の姿。私が物心ついた頃から見慣れた光景である。

見た目は蚕を小さくしたような・・・というか、はっきり言って「ザ・芋虫」である。多くの女性がそうであるように、
母は虫の類が大の苦手なので、そんな「グロテスクな虫」を食らう父を白い目で見ていたものだ。
姉に至っては「サイテー・・・」と呟いて、父を遠巻きにする。年頃の娘はこうして父親を毛嫌いしてゆくのだろう。
そして特に虫の嫌いでもない私も、冷蔵庫で「メンマ」の小瓶を発見し、意気揚々とおかずにするべく食卓で
蓋を開けたら、中に炒めたハチノコがぎっしり入っていたときには、さすがに食欲がしばし低迷したものである。
冷蔵庫にそんな珍妙不潔極まりないものを保管しておく典型的変わり者AB型の父に、綺麗好きで少々
神経質なA型の母は、さぞかし辟易していたことであろう。

そんな人騒がせな父の「ハチノコ好き」は、その勢い留まる所を知らずエスカレートしていった。
人家の軒下などに数多くあり比較的採り易く、万が一刺されても痛いには痛いが命に係わる様なことには
ならない「アシナガバチ」の巣が、当初父の主な獲物であった。少年であった私も、狩猟本能とスリルを程よく
味わえるこの「アシナガバチの巣狩り」が好きで、他人の家の軒下だろうがお構いなく、見つけては竹竿で
叩き落として父に献上し喜ばれたものであった。しかし人は大抵、希少な物ほど欲しくなる生き物で
ある。手軽なアシナガバチでは飽き足らず、父は山の地中に巣を作る「ヂバチ」という蜂の子に手を出す
ようになったのだ。この蜂はミツバチのように小型で、刺されても大したことはないのだが、
まずは巣を見つけるだけでも大変な作業である。しかし、そこは生まれながらの野生児である父。
昼なお暗きジャングルの様な原生林の急斜面を、スーパーマリオが如く駆け巡り、トリュフを見つける
豚の様にいとも容易く巣穴を見つけ、私に駄菓子屋で買ってこさせた煙玉を放り込み、蜂が燻されて怯んだ
隙に、シャベルでがしがしとほじくる。蜂がブンブン飛び交う中、尋常ではない蜂の羽音におののきながら、
愛犬を抱きしめつつ漂う煙の合間から私が垣間見た、一心不乱に巣穴をほじくる父の魁偉な姿は、
さながら飢えたクマの様であった。

父のハチノコフィーバーは止まらない。

人は、手に入れるのが危険で希少なものほど欲しがる生き物である。我が家のクマは、ついに禁断の園に
足を踏み入れた。人によっては、その一発で三途の川に強制送還されてしまう「スズメバチ」の巣を狙いだしたのだ。
蜂にとってはもちろん、家族にとっても色んな意味で迷惑この上ないこの暴挙も、「ハチノコフェスティバル
絶賛開催中」の猪突猛進なこのクマにとっては、「より、旨い、ものを♪」な三拍子の陽気な祭囃子に過ぎず、
家族の心配などまったく意に介さず、あろうことか、いつものようにキノコや山菜を採りに連れてゆくノリで、
私を連れてその狩りに出た。おしなべて団塊世代の亥年には、狙った獲物はとことん追求して、夢中になる
あまりに周りの見えなくなってしまう、まさに突進するイノシシが如きこの手合いが非常に多いが、
父はその典型であろう。そして事件は起きた。

あれは父の「ハチノコカーニバル大行進中」だった、私が小学3年生のとき。
トラックに私を乗せた我が家のイノシシグマが、以前から目星をつけていたと思われる栗林に赴き、
そこにぶら下がる「キイロスズメバチ」の巣に向かい、高枝切バサミを片手に臆することなく悠然と歩み
寄る後姿を、私は「危ないから下がって見てろ」と言われたとおり、30メートルほど離れて見守っていた。
・・・のだが、蜂の抵抗はイノシシグマの予想を遥かに凌ぐものであり、数匹が父の頭めがけて襲い掛かった。
さすがに慌てた父は逃げたのだが、その頭上に小さな黄色い戦闘機が追従してまとわりついているのが
遠目にもはっきり見えた。恐ろしい光景であった。私はその場に凍りつき息を飲んだが、そのときに父が
余計なことを叫んだ。「秀人!逃げろ!!」と。様々な危険に際し、人は一目散に逃げるのが常套手段であるが、
ことスズメバチに限っては、急な逃亡は危険である。急な動きにより彼らを刺激すると、攻撃対象としてみなされ
襲い掛かってくる。そんなことは知る由もない私は、言われたとおりに猛ダッシュで走り出してしまった。
数歩走ったその刹那、頭に「ゴツン」と石を投げ当てられたような衝撃が走り、もんどり打って倒れた。刺されたのだ。

ものすごい痛みに耐えつつ、父に抱えられて近所の診療所に担ぎ込まれて、太い注射を打ってもらい
事なきを得たのだが、その恐怖は今でも忘れない。そして帰り道の車中。ぐったりとしながら父にひとつ
訊ねた。「父さん・・・あんなに蜂いたのに、なんで父さんは刺されなかったんだ?」と。すると父は言った。
「ん?俺の頭にも何匹かたかってたみたいだけんど、たぶん俺の固い天然パーマが邪魔をして、針が
届かなかったんだべ。あはははは。」なんたる強運。父は針金のような剛毛の上に天燃パーマという、
モジャモジャのヘルメットのような頭部なのである。そして呆れたことに、こんなことを言い放った。
「・・・秀人。スズメバチの巣を取りに行ったってのは、母さんに内緒な。バレたら母さんに、たぶん父さん
ものすごく怒られるからよう。頭はミツバチに刺されたって言えよ。さ、コーラでも買ってやんべえ。」

この人には敵わない。幼い私はそう思った。そして、冷たいコーラで妥協した。安上がりなものである。

気持ちよく晴れ渡った今朝。色気のない男やもめの洗濯物を鼻歌混じりで干しながらふと軒下を見上ると、
アシナガバチが小さな巣を作っていた。女王蜂一匹で、まだ数個しかない巣の小部屋の卵をせっせと
世話しているようだった。懐かしき少年時代の蜂狩りを思い出し、しばし飽かずにその様子を眺めて
いたのだが、あまりに物干し場と目と鼻の先なのが気になってしまった。今は女王蜂一匹で小さな巣も、
やがて働き蜂が増えて巣も大きくなると、スズメバチほど気性も毒性も荒くないアシナガバチといえども、
鼻歌混じりで汚い男パンツをチョロチョロと巣の側で干す目障りなムサ苦しい男を、きっと攻撃してくるだろう。
それでは不便なので、女王蜂が巣材を採りに飛び去った隙に、つまんで取ってしまった。

洗濯物を干し終えて、窓縁に座り何気なく空を見上げていると、女王蜂が巣のあった場所に帰ってきた。
あるはずの自分の巣と卵がなくなり、うろたえるようにその場所をゆきつ戻りつ飛び、止まってみてはうろうろ
としている様子を眺めていると、まるで、我が子を少し目を離した隙に見失い、嘆き悲しむ人間の母親のように
見えてきてしまった。蜂はしばらく巣のあった場所に留まりじっとしていたが、やがて諦めたのか羽根を伸ばすと、
少し躊躇うかの様に飛び立ち、やがて夏雲浮かぶ青空高く消えて行った。

一寸、可哀想なことをした。


model : Yuya Tsuruta
# by hideet-seesaw | 2012-07-04 23:05 | photograph
gabriel
gabriel  _a0152148_1111401.jpg


♪BGM Cleopatra's Dream / Bud Powell


得てして単純な男という生き物は、テレビでやっている「警察密着24時!今夜アナタは目撃者!」なんてのが
好きな傾向にあるものだ。例に漏れず、私もそんな特番がやっていれば、逃げ惑う暴走族を追いかける
パトカーのカーチェイスに、手に汗握って興奮してしまう。

そんな私が、高みの見物としか考えていなかったそんな警察の治安維持活動に触れることになるとは、
夢にも思っていなかった・・・。

先日の夜のこと。代々木公園付近のパーキングスペースに車を止めてメールを打っていたところ、
ふと気が付くと目の前に赤色灯を回転させた一台のパトカーが停まり、二人の厳めしい警察官が私の車を
取り囲んだ。はて、なにするものぞお巡りさんと考える余裕もなく「ドアを開けて出て来い」と言う。

「職務質問です。車の中とあなたの体を改めます。いいですか?」

問答無用とはまさにこのこと。「イヤです。」と言おうものなら即刻タイホな勢いだ。仕方なく、わけも分からず
同意すると、まずは一人の警官が車の中を隅々まで調べ始めた。マットの下、ドアのポケット、
ダッシュボードにシートの隙間。まるで容赦のないガサ入れであった。もう一人の警官はというと、
「やっぱり四駆の車はいいねぇ~。私も欲しいんだけどね、カミさんが大きい車乗れないから買ってもらえん
のですよ。はははは。」などと、気さくに世間話をしながら笑うが、その目はちっとも笑っていなくて、私から
分捕った財布を隅々まで検め、中に入っているカードの類を一枚一枚確認しているのだ。

件の警察特番でよく観る光景である。テレビだと、ここでなにかの注射針やなにかの葉っぱや
なにかの粉末なんかが出てきて、運転手は詰問された挙句に敢え無く御用となり、視聴者の好奇心を
大いに満たす。それが実際自分の身に降りかかるとは。ここまでやられると、何も悪いことをしていなくても
少々不安になってくる。ひょっとして、なにか出てきてしまうのではないだろうか・・・。いや。俺は何も悪いもの持ってない!
・・・ハズだよなぁ・・・。いや。ひょっとして俺ってば、なんか悪いもの持っていたかも・・・。
変な粉が出てくるかも!もしかしたらヘンな死体の二つや三つ出てきてしまうかも!・・・などと、ありもしない
ネガティブ妄想を膨らませて動揺しまくるものだ。

そして、まさか他人に見られるとは思っていないので、車中がこの上なく俺色であるのが、また恥ずかしかった。
例えばコンソールボックスの中。甘党である私がこっそりと持ち歩き、ときどきそっと口に入れては愉しんで
いる「アルフォート」というチョコ菓子が、車内の高温に耐えかねてベロベロに溶けて再び固まったグロテスクな
状態で発見されたり、「カラオケれんしゅう用」とマジックで漢字もおろそかに走り書かれた自作のCDが
出てきたり。はたまた、いつも持ってき忘れたと思って、その都度コンビニで買ってしまい、
車中に溜まりに溜まったメンズ用顔拭きがいくつも発見されたり、マットの下から陰毛が絡まったガムが出てきたり。
そして警官は、怪しいモノでないか検めるために、いちいちそれらの物件を懐中電灯でじっくり照らすのである。
ヘンな粉末やヘンな死体ではなかったが、それらヘンなモノが照らされる度に顔から火が出るほど赤面し、
「いやん!やめて!見ないで!触らないでー!」と小さく身悶えする私のその様子は、さながら
悪代官の翻弄に恥らう村娘の如しであったと思われる。

そして今回も、この私の一大スクープに一花添えてくれたのが、速度取締りレーダー探知機の「さゆり」
(※私が命名)である。正しくは、二代目さゆりである。初代さゆり(※参照"why?")は去年の秋に、
道無き山道を走っているときに、激しい衝撃に耐えかねて落下。そのまま殉職して帰らぬ人となってしまったのだ。
飼い主に噛み付くアホな子だった初代さゆりも、いなくなってしまうと淋しいもので、慰めにまた次の子を
買ってしまったのだ。
その二代目さゆりがまたしても、私にガブリと噛み付いてくれた。警官が車中を検めているあいだ、ずっと

「ぺぽっ!ぺぽぽっ!パトカー接近中!注意して走行してください!ぺぽっ!ぺぽぽっ!」

と吼えていた。これにはさすがのお巡りさんも「これ、五月蝿いねぇ」と苦笑いしていた。苦笑いしながらも、
その目はちっとも笑っていなかった。
警察による速度取締りの情報などをつぶさに教えてくれるこの子は、別に違法なものでもなんでもなく、
普通に市販されているものなので気にすることはないのだが、それにしたって、当の警察官の目の前で
ぎゃんぎゃんと吼えまくるのは、治安を守るために頑張っている警官に対し失礼であるし、飼い主としては
なにより恥ずかしい。

例えるならさゆりは、真夏のビーチで遊泳客の安全を一所懸命守ってくれているライフセーバーの
筋骨逞しいお兄さんに「あたし、マッチョ君好きじゃないんだ~。目障りだから、あっちいってくんな~い?」
などとホザくアホなギャルみたいなものである。

この愛番犬さゆりの噛み付きにより、私の精神的疲労は8割り増しくらいになり、職務質問を受けながら
ぽつねんと佇む私は、子泣きじじい1ダースくらいに憑かれたように、ずずん・・・と心を沈めていった。

20分ほどで警官から「こいつは異常なし」と判断されて開放されたあと、首都高速4号線を西に向かって
走りながら街の灯を眺めつつ、さゆりの教えてくれる「この先事故エリアです。注意してください」
というアドバイスを聞きながら思った。
今日からこいつは「さゆり」改め、飼い主にがぶりと噛み付く「ガブリエル」に改名しよう。と。

家路を急ぐ首都高速を流れるテールランプの赤い灯に、カーステレオから流れだしたBud Powell
奏でる"Cleopatra's Dream" が妙に似合う夜だった。


~このエッセイを、私のブログを生前いつも楽しみにしてくださっていたという、ホテルニューオータニの
ホテルマンであった故・高波さんに捧げます。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。~

model : desperado
# by hideet-seesaw | 2012-05-22 11:33 | photograph
real shimu-ken
real shimu-ken _a0152148_21533944.jpg

BGM♪ Ain't that just the way / Lutricia McNeal


いつも、ある一品だけを買いにスーパーに入っても、店内を歩くと様々な商品が目に入り、
そして「これも買っておくか・・・」とあれもこれもと物色しだし、手だけでは持ちきれなくなって
買い物カゴが欲しくなる。

スーパーの買い物カゴは大概、店の入り口とレジ付近だけにしかなく、結局もう一度入り口まで戻るハメになる。
両手に抱えきれない程の商品を持って入り口付近に戻るとき、万引きに間違われないように
必要以上に堂々と歩いてしまうのは、私だけであろうか。チンパンジーのオリバー君よりも学習能力が
著しく足りない私は、そんなことを毎度スーパーへ赴く度に繰り返している。

先日、お腹に優しいピルクルだけを買いに、実家から程近いスーパーに行ったときのこと。

結局たくさんの品を買ってレジ袋へ詰める作業台?のところへ行くと、隣で腰の曲がった80代と思しき
老婆が、緩慢な動作で一所懸命袋詰めをしていた。すると、「ぼとぼとと」と音がして、おばあさんのレジ袋
から、鶏の唐揚げがたくさん落ちてしまっていた。袋が破けてしまったようだった。おばあさんは気づかない。

「あの・・・唐揚げ落っこっちゃいましたよ・・・。」と言いながら拾い集めてあげると、
「あぁあぁあぁあぁぁ・・・・・・・」と、まるで孫にフラれた時のような悲しい声をあげ、志村ケン扮するおばあさん
バリの西多摩弁で、悲しみを訴え始めた。

「あんだかよぉ・・・。袋が破けちまったんだぁなぁ・・・・。はぁ~~・・・・。もおダメだぁ、こりゃぁ・・・。はぁ・・・。」
魂の抜けてしまいそうな切ない溜息を吐いて想定外に落胆しだしたので、おばあさんから本当に魂が
抜けてしまったらシャレにならんと思い、「慰めの偽善者作戦A~対ご老体用~」を決行することにした。
より親近感を抱かせるため、こちらも使い慣れたバリバリの西多摩弁を用いる。
こんな場合、タメグチも宜しかろう。

「おばあちゃん、ちょっと落ちたぐらいダイジョブだぁよぉ!家帰って洗ゃあ食えんべえ?もってぇねぇよぉ!」

「落とした食い物3秒ルール」なんてクソ食らえなイジ汚い私の尺度でそんなこと言ってみたが、
それでもおばあさんの落胆はさらに急降下すること止まらない。というか、私の言葉を聞いていない。
「あんだかよぉ・・・・。はぁぁぁ・・・。あんだかなぁ・・・。」と繰り返して私の拾う唐揚げを見つめている。
・・・よほどこの唐揚げを楽しみにしていたのだろう。ヤバい・・・。このままではおばあさんが
悲しみの心臓発作を起こしてしまいかねない。

その悲しみ様と言ったら、靴磨きで手に入れたなけなし銅貨で買ったチョコトッピングアイスクリーム三段重ねを、
一口も食べずに落としてしまい、悲しみに暮れて路頭に呆然と佇む哀れな少女のようだった。
あまりに悲しそうなので、新しい唐揚げを買ってあげようかとも思ったが、それもなんだかオカシな話なので、
とりあえず必死で「平気だぁよぉ!!洗ゃあダイジョブだぁって!!もったいねぇってばよぉ!!ホラホラ!
旨そうじゃんかぁ!!」と励ましていると、ふと、おばあさんがカラリと笑顔になり、こう言った。

「おれぁ落ちたもんは食えねぇけんど・・・ほんだらよぉ、これ、お兄ちゃんにくれらぁ。持って帰んな。」

何を隠そう三度のメシより・・・もとい、三度のメシが唐揚げでもノープロブレムなくらいの唐揚げ好きな
私である。(※参照 "like a crazy beast"
実は唐揚げを拾いながら「いい匂いだなぁ・・・・たまらんぜ。」などと思っていたのだ。それが伝わってしまった
のかもしれない。一瞬「え!?・・・そ、それなら・・・」と頂いてしまおうかと思ったが、それもまたオカシな話である。
落とした唐揚げを一瞬たりとも貰おうと思った私もツワモノだが、落として自分では食べられないと言った
ソレを笑顔であげようとするおばあさんも、なかなかの手練れである。そして丁重に断った。
なぜなら・・・その様子を先ほどから買い物客の主婦たちが数名、物珍しげにジロジロと見ていたからだ。
地元なので、知った顔もいたかも知れない。主婦になって買い物をしている同級生だってたくさんいる界隈だ。

「あれ・・・ヒデトじゃん。あ・・・拾った唐揚げ貰ってやんの!やっば~い。そういえば、小学生のとき
自慢げにドッグフードや蟻んこ食って見せてたっけ・・・。いい歳コイて終わってんな。あいつ。」

「あらヤダ・・・高水さんとこの息子さん、落ちた汚い唐揚げを嬉しそうに貰ってったわ!フケツだわ!
黴菌だわ!あきる野のスペースデブリだわ!!高水さんちって、どんな食生活なのかしらっ!」

なんて家族にまで糾弾は及び、母は泣き、父は呆れ、姉は寝込み、犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなり、
近所から村八分の憂き目に遭って、もうイヤんなっちゃって、家出して、盗んだバイクで走り出して、グレて、
腐ったミカンになって、流れ流れて、場末のバーで顔色の悪いバーテンダーでもして、「目つきがいい」なんて
どこぞの親分さんに見込まれて、杯を貰って、裏街道出世まっしぐらして、ゴールドエンブレムの
メルセデス・ベンツ600SELに縦縞スーツにサングラスでパンチパーマのイケイケ兄貴になって、
調子に乗って、オラオラして、敵対する組の鉄砲玉に撃たれて血が出て「なんじゃこりゃ~!!」って
叫んで逝って、唐揚げのせいで哀れ東京湾の藻屑となってしまってはたまらない。だから貰わなかった。

家に帰ってボソボソと冷たいメシを食べながら、やっぱり唐揚げ貰っておけばよかったかな・・・と、
ちょっと後悔したあとに、ピルクルを買い忘れていたことに気が付いた。


model : aki
# by hideet-seesaw | 2012-03-07 09:20 | photograph
the days of wine and recollection.
the days of wine and recollection._a0152148_15593219.jpg


BGM♪ Nur Wer die Sehnsucht kennt / Tchaikovsky


14歳のときに、その人に恋をしていた。
しかし、その人には触れることも話しかけることも、そして、会うことも叶わなかった。
ただじっと、一葉の絵となりしその人を見つめ、その瞳に点る小さな光に夢見心地に恍惚となりつつ、
実らざる永遠の片想いに、細い溜息をついたものだった。

美術の教科書にあった人物画の章で、1ページ分をどどんと使い、どどんと微笑むモナ・リザの片隅に、
小さくその人は、いた。

フェルメール作「真珠の耳飾りの少女」。  

全くもって理解不能な数学の時間。教師の唱える意味不明なサインコサインタンジェントの呪文も上の空に、
数学の教科書の下に隠した美術の教科書を盗み見ては、暗い影の中に優しい光を浴びてさりげなく振り向く、
もの言いた気な耳飾りの君との秘かな逢引を愉しんだものであった。

今思えばそんな私は、根暗なことこの上ない少年であった。根暗と言うか、いささか危ない。
そして、数学のテストでは前代未聞の惨憺たる成績を収めたのは、言うまでもない。

時は20年ほど経ち、つい先日のこと。FMラジオでフェルメール展が銀座で催されていることを知った。
忘れかけていた耳飾りの君との日々が記憶の底から蘇り、いてもたってもいられずに、早速赴いた。

耳飾りの君は、そこにいた。変わることなく、むしろ、どどんと微笑むモナ・リザの片隅に追いやられ、
数学の教科書の脇からちんまりと振り返っていた頃よりも、彼女は美しくなっていた。
美しくなった彼女をしばし見つめ、あの頃感じた切ない想いが鼻の奥にツンときたときに、踵を返して
私はその場を立ち去った・・・。

その刹那。背後で「カシャキュン」と、別れの寂寥感をブチ壊すかのように携帯で写メを撮る音がした。
展覧会で写真なぞご法度であろうと思い、少々気色ばみつつ辺りを見渡すと、そこかしこで作品に向けて
写真を撮っている来客たちがいるではないか。

この展覧会の作品は、実物を忠実に、且つ350年もの時を経て色褪せたものを、デジタル処理で当時の
色彩を再現した模造であるため、撮影も許可されているらしい。それを察知するや再び踵を返した私は、
耳飾りの君の前に陣取り、持っていたデジカメで「これでもか」と言うくらいシャッターを切っていた。

心疲れて眠れぬ夜に、瞼の奥に焼き付けた彼女をそっと呼び起こし、もの言いた気な彼女の瞳に
もの問いかけてみたりして、己をそこはかとなく慰めてみるような日々を送ってみようと思っていたのだが、
禁猟区と信じ厳かに踏み入った聖なる追憶の園が解禁猟区だと知るや、図らずもおっ取り刀の写真狩人と
化した自らの「シャッター鬼切り」の愚かな行為によって、そんな甘美な企ては見事打ち砕かれてしまった。

今、カメラに残る耳飾りの君の写真データを永遠に消してしまい、当初のおセンチ計画通り、
時々そっと美しき妄想に耽ることにするか、写真を永久保存版にがっつり残して、iPhoneの待ち受け
にでも起用して、毎日眺めてニンマリするか、激しく心が葛藤している。

フェルメール光の王国展 ~2012.7.22[SUN]

model : mayumi muroya
# by hideet-seesaw | 2012-02-07 13:20 | photograph